代表取締役社長
三角 勝信(みすみ かつのぶ)氏
1950年(昭和25年)1月27日、福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)にて出生。1972年、明治大学経営学部卒業後、㈱神戸洋行入社。1978年、兄・光徳氏とディスカウントストア創業。2000年より現職。
人に人柄があるように、会社には社柄がある。三角商事はどんな社柄だろう。
同社が展開するディスカウントストア「ルミエール」は、開店前から行列ができる店だ。店内は常に大勢の買い物客でごった返しているが、流れている空気は、どこかやさしい。休みなく立ち働くスタッフの表情も生き生きしていて、おしなべて親切だ。明るく穏やかで、ギスギスしていない――そんな同社の空気、同社の社柄は、どこから生まれてくるのだろう。原点を探るインタビューは、三角勝信社長の幼少期の話題から始まった。
お小さい頃は、どんな子どもだったのですか?
- 三角社長:
- 生まれつき体が弱い子どもでした。小学校に上がってすぐの身体検査でも、服の脱ぎ着さえ満足にできなかったくらいです。母親も心配し、先生にはいろいろと頭を下げてお願いしていたようです。昔のことですから、時には付け届けのようなことも。だからというわけではないでしょうが、先生も何かと配慮してくださり、僕を級長に指名してくれました。
級長というのは…
- 三角社長:
- 学級委員長ですね。クラスの子どもはみんな元気いっぱいですから、今から学級会を開きます…と言っても、誰も聞いてくれない。そんな時、『三角が学級会をすると言うとるやろ、ちゃんと座れ』と、助け船を出してくれる奴がいたんですね。体育の授業でも、級長の僕がみんなの前に出ると、『お前ら、三角が並べって言いよろうが』と、今度はまた別の奴が並ばせてくれたり。僕は体が弱い分、みんなにはごく自然にやさしく接していました。やさしいから嫌われないんでしょうね、友達も普通にいて、困った時には必ず誰かが応援してくれました。体が弱く、自分では何もできないというのが、よかったんだと思います。
思春期に入ってからも変わらなかったのですか?
- 三角社長:
- そうです。僕は視力も低く、黒板の字がほとんど見えなかったんですね。中学まではなんとかなりましたが、高校ともなるとお手上げです。それでも、試験のたびに『ここが出るぞ』と助けてくれる友達がいて、どうにか進級できました。高2の時でしたか、母親に『あんた大学に行くんね』と聞かれ、成績が悪いのを棚に上げて『行くに決まっとるやろ』と答えると、『じゃあ、家庭教師を頼もうか』と。うちは僕が3歳の時に父親が他界し、決して裕福な家庭ではなかったのですが。おかげでだんだん成績もよくなり、大学にも合格できました。
誰かの力を借りながら…そこは一貫していたんですね。
- 三角社長:
- 全部、人の力ですよね。
三角氏はその後、今は亡き兄・光徳氏とディスカウントストアを立ち上げる。「お客様に喜んでもらうために安く売る」。この不変の理念が消費者の圧倒的な支持を得て、会社は着実に成長を重ねた。エネルギッシュなカリスマ経営者の兄。裏方に回り、経理や管理全般で支える弟。盤石の両輪で前進する同社に死角はない、かに見えたが―― 起業から10年を経た頃、三角氏が大病を得て、入退院を繰り返す事態に。38歳から50歳にかけて、足掛け13年。病床で、またバックルームの事務机で、三角氏は何を思い、どんな気づきを得たのだろう。
- 三角社長:
- 起業に先立ち、経済紙か何かで、関東にディスカウントストアという新業態で成功している人がいると知り、教えを乞いに行きました。そこで得た教訓は『商売って、人助けなんですよ』『儲けようと思ったらいけません』『自分の欲が出た時、商売は終わりです』ということ。その方には全国から弟子入り志願者が相次ぎ、何十社もの同業者が生まれましたが、当社以外はほとんど消えてしまいました。教えを守らず、自分の欲、我欲が出てしまった結果だと思います。当社は今もって教えを忠実に守っていますが、揺らぎかけた時期はありました。
それがご闘病の時期…
- 三角社長:
- いえ、その前からですね。商売に集中すると、ついつい欲が出てしまう。安くすればするほど売れるから、じゃんじゃん安くしろ、もっと安く仕入れろと、みんなを煽る。給与の査定をしながら、お前はこんなこともできんのかと、社員を激しく罵ることもありました。親しい社員の中には、冗談めかして『あんたには青い血しか流れてないね、冷たい人間だね』と言う人もいました。
小学生の時はあんなにやさしかった三角君が冷血人間に…
- 三角社長:
- そうなんです。お客様のために努力しているつもりが、いつの間にか我欲にとらわれていたんですね。そのうち、とうとう肝臓を患って入院。しまいにはうつ病にも。入退院を繰り返しながら、何年も何年も悩み、考えました。本もたくさん読みました。その中に、人間は人のために生きている、自分のために生きるんじゃないですよ、というくだりがあって。食べ物を口で咀嚼するのは胃の消化を助けるためでしょう。胃が消化するのは腸が栄養を取り込んで全身に送るためでしょう。臓器だって他のために働いている。自分も、自分の事を考えている時はうつになってしまったが、他の事に意識が向くとうつが消えた。自分の事だけ考えるとき、自滅する。外に意識が向くと良くなる、商売もそうだな、と。自分が儲けようと思ったらうまくいかないが、お客さんに儲けてもらおうと思ったら栄える。世の中の法則は全部そうだと、自然の法則が腑に落ちました。闘病生活で地獄を見たおかげです。
御社には売上目標など、いわゆる予算制度がないそうですが、今うかがったご闘病時の経験が反映されているのでしょうか。
- 三角社長:
- それは後付けといいますか、もともとあった方針の再確認に役立った、というところでしょうか。実際、僕が長期入院している頃、一時的に売上予算を導入した時期はありましたが、すぐにやめました。ひとたび会社を大きくする目標を立てたら、欲が出ないわけがない。現にそういうことも多々ありました。10キロのお米を破格の値付けで集中的に売り、その月の予算を達成。でも、特売品で関心を引くやり方は、お客様ではなく、自分たちの利益のためです。それは違うでしょう、と。
とはいえ、世の中のほとんどすべての企業が事業計画を立て、売上予算に則って動いています。
- 三角社長:
- そうですね、それで成功している会社さんも確かに多いでしょう。でもそれは、たまたまうまくいっているだけだと、僕は思っているんですね。自分の会社を良くしたいという考え方で取り組む限り、どこかで我欲が前に出て、漏れや歪みが出てしまいます。人間が本来持っている力というのは、人のために尽くす心、与える心で、それは我欲が出ると隠されてしまう。うちがなぜうまくいっているかというと、何事もお客様のために、と思って動いているからです。予算がないこともあって、従業員はみんな、我欲とは無縁でいられます。
なるほど…
- 三角社長:
- 僕は、人を生かせば生かされる、という法則を信じているんです。お客様を生かせば、お客様から生かされる。社員を生かせば社員に、取引先を生かせば、取引先から生かされます。以前、熊本の大手スーパーが経営破綻した際、どこの問屋さんも困り果てていましたが、『うちの分はすぐ払います』とお伝えし、総額で10億円ほど支払いました。
その時の問屋さんは御社に恩義を感じてらっしゃるでしょうね。
- 三角社長:
- おかげで長いお付き合いが続いていますし、多少の無理も聞いてくれます。お金って、使えば使うほど入ってくるものなんですよね。取引先もそうですが、社員にどんどんお金を使えば使うほど、いい結果につながる。それも自然の法則だと思っています。
同社の研修や社員旅行では、「本物に触れること」をコンセプトに、コスト度外視のプログラムが組まれている。流通業の先進地・アメリカへ飛ぶ海外研修では、大型ショッピングモールで最新の業態を視察する一方、地域密着の姿勢で就職人気も高い地場SMの接客を体感。ちなみに社員だけでなくパート従業員も毎回参加している。また創立35周年や40周年といった節目の年には海外、ふだんは国内を目的地とする社員旅行の宿は、リッツカールトンや老舗旅館といった一流の宿泊施設。非日常の料理を味わい、洗練されたホスピタリティを肌で知る体験は、参加を重ねるごとに、社員の中で有形無形の財産となり、一人ひとりの人生を彩っていく。
アメリカ研修や社員旅行に手厚く投資する狙いについて、教えていただけますか。
- 三角社長:
- 当社の事業理念は、お客様の豊かな生活を物心両面からサポートすることです。商品を安く売ることは、モノの豊かさ、経済的な豊かさを支えることであり、かつてはそれで十分でした。でも今は、モノの豊かさと同時に心の豊かさを届けないと、お客様を支えることにはならないと僕は思っています。そのためには、お客様に対してやさしい思いやりを持って接しないといけませんが、これはなかなか難しい。やさしくなれ、と口で言ってなれるものではないでしょう。研修や社員旅行にお金を使うのは、本物のサービス、本物の対応に何度も何度も繰り返し触れて、自分なりに学んでほしいと思うからです。社員の反応は十人十色で、目に見えて変わる人もいれば、なかなか変わらない人もいますが、それでいいと思っています。何年、何十年かかっても、感性が豊かになれば人は変われる。そして、そういうふうに変われば変わるほど幸せになって、いい人生が送れる、と僕は思っているんですね。社員みんなに、いい人生を送ってほしいと願っています。
ありがとうございます。実を言うと、御社におじゃまするたびに、人当たりが柔らかい方が多いな…と感じていたのですが、その理由がわかった気がします。
それでは次に、採用についても少しうかがいます。面接の際、どんなところを重視していらっしゃいますか。
- 三角社長:
- 人間性というか人のよさというか、相手に対して真心を尽くせる人に、うちで働いてほしいと思っています。そういう意味で、誠実さがあるかどうかは見ていますね。話は少し飛びますが、機械って、エンジンで動くわけでしょう。人間のエンジンは何かといえば、心ですよね。心の作用を止めなければ、人は勝手に、どんどん動きます。心を殺さず気持ちを殺さず、人の思いを生かしたいから、うちには予算もマニュアルもありません。誠実な人なら、お客様の前に出たら誰に言われなくても、お客様のために努力します。やり方がわからなければ周囲に聞けば教えてくれます。そうするうちに自然と、情熱を持って仕事に向き合うようになります。僕も、売場で聞かれたら何でも教えますよ。
店舗にはよくいらっしゃるんですか。
- 三角社長:
- 全店をまわっています。遠方のお店は土日が中心になりますね。売場で従業員と顔が合えば挨拶くらいはしますし、話し込むこともあります。店長でもパートさんでも同じです。必ず声をかけると決めているわけではなく、自然な流れに任せています。パートさんからLINEやメールもじゃんじゃん来ますよ。最近ですと、『ニューオータニのローストビーフ美味しかったです』『ワインも開けました』とかですね。
そのメールは、謝恩パーティがコロナで中止になったかわりに、全従業員に贈られたサプライズプレゼントのお礼メールですね(笑)。
では最後に、今後についてうかがいます。新店舗の計画などはございますか。
- 三角社長:
- 今はないですね。もともと出店計画のようなものはなく、ここに出しませんかとお声がけをいただいた時に、十分な商圏があって1店舗を運営できるだけの人が育っていたら出しましょうと、その方針で今まできています。志免も小倉もそうでした。おかげさまで順調です。
逆に伸び悩んでいるお店はありますか?
- 三角社長:
- ありますよ、いくつも。建物の構造上、生鮮を入れにくいお店はどうしても苦戦します。実は閉めようと思っていた店もあったんですが、閉めませんでした。パートさんたちに『働くところがなくなると困る』と言われたので、まあいいか、と。
なんと…!そのお店は赤字ではないのですか?
- 三角社長:
- 赤字のお店は1店もありません。
そう聞いて安心しました(笑)。一部のお店で店舗改装を進めておられると聞きましたが、今後も計画的に取り組まれるのですか?
- 三角社長:
- いえ、計画はしていません。言葉は悪いですが、行き当たりばったりです。その場の思いつきに従うのがいちばんいいと思っているんです。日々の業務でも経営上重大な局面であっても、さきほどお話した自然の法則に沿ってさえいれば、その時々でちゃんと、いちばんいい判断を思いつくようになっている、そう思っています。ただ店の質は上げていきたいですね。品揃えを充実させ、人も育てて、従業員もお客様ももっと快適に楽しく過ごせるお店にしないと。店舗改装もその一環です。
なるほど、なるほど…今日は目から鱗を何枚も落としていただきました。最後の最後にもうひとつだけ、以前、何かの記事で社長が「自分は経営はしていない」とおっしゃったのを拝見しましたが、経営者ではないとすると、社長は何の係、なに担当と理解すればいいでしょうか。
- 三角社長:
- 社員が活躍できる場を提供する人、ですね。僕が考えることと言えば、みんなが働きやすい環境にするにはどうしたらいいか、それに尽きます。
よくわかりました。今日はどうもありがとうございました。
ルミエール(lumière)とは、光を意味するフランス語。同社が企業ミッションに掲げるフレーズ「暮らしにやさしい光を」と考え合わせると、この店名が選ばれた意図、そこに込められた思いが、より輝きを増して伝わってくる気がする。ルミエールで働く人は、目の前のお客様とまっすぐ向き合う日々の中で、穏やかだが確かな光を放つ人。地域の日常をやさしく照らすルミエールの毎日は、そこで働く人々の人生をも、やさしい光で包みこむ―― 三角社長のインタビューを終えて数日、そんなイメージが心に広がっている。
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